STORY 八十八

毎週日曜日9:00~9:15

それぞれの人や文化が持つ多様性。
未来のために今、それぞれの想いを受け入れるやさしさが、求められています。
古来よりうれしさや悲しみ、時にはその人の人生そのものを受け入れてきた四国お遍路には、
過去・現在、そして未来に続いているやさしさがあります。
これは、そのやさしさを探しに行く八十八という名の物語。

STORY 八十八

STORY 八十八

毎週日曜日 9:00~9:15
提供 株式会社アイム

2021年12月05日放送分

弘法大師出家の原点 捨身ケ嶽 縁に導かれてきた人の物語  出釈迦寺

今週もご案内は

出釈迦寺で広報部本部長

半田 暁峰(はんだ ぎょうほう)さん

前回に続き、さらに行場へ

天空の鐘突き堂から禅定の脇に通路があります。

10メートルほど回廊のようになっている通路を抜けると

本堂の裏へ

行場「鎖場」の入り口があります。

お寺に来る人たちを見守るように、大きなお不動さまのお姿がありました。

大きな岩に彫られたお不動様

昭和に初頭、目の悪くなった石工さんが

願掛けでここまで登ってきて、一心に拝むと目が治ったそうです。

そのお礼として、自分の体を大きなかごに入れて縄で吊るして

手彫りでお不動様を彫ったといわれています。

ですから「目直し不動様」なのです。

この近隣の年配の方は覚えていらっしゃる人も、いらっしゃいます。

ある方は、お父様の目が悪くなり医師からも失明するかもしれないと宣告を

受けた方が拝みに来ているうちに治ってしまい、

医師も治る理由がわからなったという話も聞きました。

私もここに来てまだ2年程度なのですが、

そんな話を2~3回。

私どものお寺は病が治った方や

子宝に恵まれなかった方が、この寺の子授け地蔵さまに祈ると

1年以内に授かった話も聞きます。

多い日は1日に2組ほどお礼参りに来られていました。

『何かお礼をしたい』とおっしゃられるのですが、

こちらでは改めて『願ほどき』お礼を言って

お礼参りで手を合わせられるだけで充分なのですと申し上げています。

(願ほどきについては、次回詳しく!)

両手を使って頂かないと危ない鎖場を

一生懸命登って頂上を目指します。

 

 

鎖場を登り頂上に来ました。

「鎖場」と言われる岩場の道を登ってきました。

つかまりたい場所に突起があり

立往生しないようにできていて

思っているより登れないところではありません。

「禅定」よりゆっくり上がって10分。

 

「ここが7歳のお大師様が捨て身の行をされた

本当の捨身ヶ岳の場所です。」

鐘突き堂のあった場所から逆方向

南側の景色がさらに広がります。

目の前には徳島の山々、阿讃山脈・・・・

「ご幼少の頃のお大師様もほぼ同じような景色を見て、

人々を救いたいと誓願されたのでしょうね。

7歳のお大使様もこの高さは怖かったと思いますよ。

私たちはこの地に立ち景色を見て

「きれいだ」「高いな」「晴れていてよかった」と思うだけではなく、

お大師様の物語を我々は知っているので

当時7歳の弘法大師さまがここまで登って来て

人々を救いたいと願って飛ぶなど、自分と照らし合わせて

想像するに感慨深いものがあります。

ここがその場所か、自分はどうなのだろうと思える。

そういう意味でも尊い場所と言えます。」

行場は、心に刻む場所

穏やかな道ではない険しい岩場を登ると、

一歩一歩が刻まれていくようです。

「だから行場なのです。

ここはあくまで行場なのでそういう気持ちに自ずとなるのです。

昔のお大師様のお話があるから。

それを皆さんが知っていて登るから、そこの場所に行きたいと願って

登り、登る道中も皆さん心に刻みながら歩んで来られる場所・・・・

それが行場なのです。」

天空の鐘をついて心が満たされ、禅定で手を合わさせていただいたら

次第に段階を踏んで更に上へ辿り着きたいと自然と

願うようになっていきました。

 

「それがご縁ですね。ご縁頂いたと思います。

そのうちご自身でそのうち(修行を)されることになると思いますよ。

呼ばれるのですよ。この場所は。」

 

 

 

半田さんが出釈迦寺に来られたきっかけは?

「お遍路1回目は体験バスツアーのようなもの。2週間で八十八カ所を回り

高野山まで行ってしまうものでした。

1回目は時間的な問題で、この捨身カ岳は来ることができませんでした。

いつか必ず登ってみたいなと思っていました。

私は北海道の夕張出身で、僧侶をさせていただいていたのですが、

お寺が立ち行かなくなってお暇を頂いて

思い切って今度は歩き遍路をしたのです。

 

確か6月で、お大師様のお誕生日(6月15日)のころ。

この捨身ヶ岳まで来て、参拝し降りていこうとすると

よくいらしているご高齢の女性方にお会いしたのです。

「もう今日遅いから泊まっていきなさい」

と勧めて頂き奥の院で泊まらせていただきました。

出釈迦寺は毎月旧暦15日。その月の満月の日あたりに

信者さんは夜に登られて『禅定で護摩炊きをされるのです。

ご供養や心願成就を書かれたお塔婆や

護摩木に願い事をかかれたものを

護摩の火でくべて願いを仏様に伝える日です。

私が泊めていただいた次の日が

その日だったので、ここのご住職に

「もう1泊してその様子を見てから帰られては」と

勧めていただきました。

私はそもそも僧侶でしたので、見学というより準備からお経も

僧侶として参加させていただいたのです。

その旧暦の満月の夜の護摩炊きの日を「縁日」といいますが、

それが私にとっての本当の「縁日」になりました。

そのときのご縁で私は、ここ出釈迦寺で今、僧侶をさせていただいています

お寺とのというより、こちらの仏様、お大師様とご縁を持たせていただきました

地元に帰っても私にはもうお寺がなかったので、歩き遍路にでたのが

僧侶としての最後の営みになるだろう。

帰ったらもう僧侶ではなくなるだろうと覚悟していました。

それが出釈迦寺の「縁日」に呼ばれました。

そのご縁があって、この出釈迦寺で僧侶をやれている

今なお、参拝の方に仏様のお話しをし、

お経を読ませていただけている・・・・本当に感謝いたしております。

こちら出釈迦寺の仏様やお大師様に

「お前はまだ僧侶でいていいのだよ」と

言ってくださっていると思えて

目頭が熱くなります。

そういう想いを忘れないようにして

皆様にお話しをこれからもお伝えできたらと願っています。

この番組は、radikoでも お聴きいただけます

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