弘法大師の生きた証を感じる善通寺・17枚の絵の物語
総本山善通寺。
今月は弘法大師の御誕生月であることから
善通寺におけるご誕生にまつわるエピソードを紹介しています。
774年宝亀(ほうき)5年の6月15日に
弘法大師はこの善通寺で御誕生されました。
今回は、善通寺で広報のお仕事をされている
中嶋 孝謙(なかしま こうけん)さんに弘法大師の生涯を
知ることができる場所へご案内いただきます。
先週は善通寺東側の伽藍を案内いただきました。
今週は西側、五岳山へ向かって歩いてまいりますと
一つの道を挟んで西院が現れます。
《中嶋さん》
「ここが、御影堂がある西院でございます。
弘法大師さまのご誕生聖地となっております。」
もちろん四国霊場の札所の一つでありながら、
弘法大師さまのお生まれになった場所にお参りをする・・・
お遍路さんにとっても、お参りの方にとっても
特別な思いがあります。
身が引き締まる思いがします。
《中嶋さん》
「ここにお大師さんがいらっしゃるという気持ちで
みなさん、来ていただいていると思います。」
お堀になっている場所を見つけました。
《中嶋さん》
「ここは、極楽堀(ごくらくぼり)といいまして、
お堀になっております。
今の時期には、蓮の花が綺麗に咲いております。」
極楽堀を越えると仁王門です。
《中嶋さん》
「両側には仁王様、金剛力士像ともいいます。
仁王様がこの境内をお守りしております。」
中に入ると廻廊になっています。
《中嶋さん》
「この廻廊にお大師様の生涯における
ターニングポイントが描かれております。」
廻廊に立ち、見上げると何枚も絵が飾られています。
《中嶋さん》
「774年宝亀(ほうき)5年の6月15日に
空海さんがこの善通寺で御誕生しました
という絵から始まります。
たくさんエピソードがある中、
空海さんの幼少期、仙遊カ原で遊んでいましたという
様子もあります。
また、この近くに我拝師山という山がるのですが
捨身誓願(しゃしんせいがん)といい
飛び降りて天女さまに助けられた
という絵も描かれております。」
「仙遊カ原」といいますと中嶋さんが堂守をされている
仙遊堂があるところですね。
《中嶋さん》
「はい。今は私が堂守をさせていただいています。
仙遊寺というお寺が再建されております。
そのあたりで、空海さんは幼少の頃
泥遊びをされていたという話も伝わって、
その泥遊びもお子様なのに仏様を作り、
その自分が作られた仏様に、手を合わせられていたという
お話も伝わっています。」
廻廊にはその様子も書かれているのですね
《中嶋さん》
「はい、その様子が描かれております。
この廻廊の絵を見ていただければ、ある程度の
お大師さんの生涯が見えてくると思います。」
私も何度もこの回廊は通っているはずでしたが、
本日初めて絵の存在を知りました。
《中嶋さん》
「お遍路の方も急いで大師堂・御影堂の方に
歩かれていますので
あまり上を注目してらっしゃらないと思いますので、
善通寺にお参りに来た時には
ゆっくりこの絵を見ていただきたいなと
思います。」
本当ですね、お大師様の大事なターニングポイントの
エピソードを知ることができるのですね。
善通寺誕生院御影堂前回廊には
それぞれの絵にはタイトルがついています。
ご誕生・仙遊ヶ原・捨身誓願・御勉学・御修行
《中嶋さん》
「そしてお母様とのお別れですね。
これは弘法大師さん31歳の時に、唐に留学をされたのです。
みなさまご存じの遣唐使船という船に乗って
中国に留学をされるのです。
その際、その留学に対してお母様は大変悲しまれたのです。
これはなぜかと言えば、当時中国に留学するとなれば
約20年中国でお勉強して
そして日本に帰ってきてとなるので
お母様もその間の20年生きていられるのか、
また、息子が中国に行く際に船が沈んだり
さらに中国について生活ができるか
そして20年経って
無事に帰ってこられるのかと心配されて
大変悲しまれたのです。
それを想った空海さんが自分の自画像を残して
お母様にプレゼントしたというのが
この絵の流れです。」
延暦23年(804年)弘法大師が唐に入られるとき
お母様に渡された自画像
それをお渡ししているときの絵なのですね。
《中嶋さん》
「そうです。
この自らお書きになったお大使様のお軸なのですが、
それをお祀りしているのが御影堂というところなのです。
またこれは秘仏でございまして
なかなか見ることができないのです。
また、瞬目大師(めひきだいし)というお名前を頂いております。
これは第83代土御門(つちみかど)天皇という方がこの善通寺に
お参りにいらっしゃった際に
このお大師様の自画像があるということをご存じでしたので
是非見せてくださいということで
見ていただいたのです。
その際に土御門天皇に瞬きをされたということで
このお大師様は瞬目(しゅんもく)をされたお大師様であるとし
瞬目大師という命名をいただいたと伝わっております。」
瞬目大師の名の由来はそこなのですね。
普段はわたしたちには秘仏ということで
みることができないのですね。
《中嶋さん》
「秘仏ですので本当に見ることができません。
私も本物は見たことがないです。
本当にここの職員の方でも見ている方は少ないのでは
ないかと思います。」
瞬目大師がお祀りされているのが、この御影堂
《中嶋さん》
「この善通寺の御影堂でございます。」
一つ一つの絵について、
中嶋さんに伺っていきたいところですが
こちらの絵については特にお聞きしたい
「満濃池の改修」の絵です。
《中嶋さん》
「この満濃池改修、みなさん香川の方であったら
ご存じの場所であると思うのですけれども
もともと満濃池はあったのですが
毎年満濃池が決壊してしまうのがあり
これをどうにかしないといけないということで
空海さんにお願いをしたと伝わっております」
もともとあった満濃池の改修工事を
担われたということですね。
それは、唐で学ばれた時の土木工学の知識を
生かしてということだそうですね。
《中嶋さん》
「この満濃池の特徴として
水の出口をアーチ状にして
それによって水圧を分散して壊れにくくするという
技術があるのですけれども
その技術を弘法大師さまは中国に行った際に
西泉(さいこ)という唐の都に
人口湖がたくさんあり、それを見ていらっしゃった
のではないかと思います。」
留学で得た知識を生かして
日本一のため池である満濃池を改修できたのですね。
《中嶋さん》
「仏教以外の所でもたくさん勉強されて
空海さんはわたしたちのために還元してくださっていた
というように思います。」
廻廊には17枚の絵があり、その最後の絵
《中嶋さん》
「ご入定のワンシーンの絵が描かれております。
空海さんは高野山の奥の院という場所で
ご入定をされております。
62歳でご入定されました。」
廻廊の絵を中嶋さんと
弘法大師の人生を追っていくことで、
改めて偉人伝を目にし
弘法大師の生きた証を肌で感じることができました。
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