STORY 八十八

毎週日曜日9:00~9:15

それぞれの人や文化が持つ多様性。
未来のために今、それぞれの想いを受け入れるやさしさが、求められています。
古来よりうれしさや悲しみ、時にはその人の人生そのものを受け入れてきた四国お遍路には、
過去・現在、そして未来に続いているやさしさがあります。
これは、そのやさしさを探しに行く八十八という名の物語。

STORY 八十八

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毎週日曜日 9:00~9:15
提供 株式会社アイム

2022年08月07日放送分

お遍路さんから受け取った「俵札」の物語

香川県さぬき市造田

県道志度山川線沿いにある飯田桃園

代表の飯田栄一さんは

お仕事の傍ら地域に残る伝承や語り継がれる

土地の由来などを調べ、まとめて伝える活動をしています。

 

今回はお遍路さんから受け取った

「俵札」の物語です。

 

桃農家の産直として賑わう飯田桃園。

《飯田桃園 代表 飯田栄一さん》

「さぬき市でも、志度湾から大窪寺までの間、

志度寺から長尾寺の中間あたりにあります。

昔からお遍路の街道沿いです。」

飯田さんのお宅はずっとこの辺りで農業をされてきたのですか?

《飯田さん》

「そうです。

古くは平安時代からの記録が出てくるのです。」

古くから地域に根差してきた飯田家には

代々伝わるものがあるそうです。

 

《飯田さん》

「俵札(たわらふだ)というのです。

私が小学生の頃、家の屋根裏の梁に

小さな米俵型のものがぶら下がっているのを見つけました。

米俵ほど大きくはないものだったのですが、祖父に

「あれは何?」と聞いたのです。

そうすると

「あれは昔の大事なものが入っているのだ」と。

その記憶がずっとあって、家を建て替えるときに

その俵を新しい家の納屋にぶら下げたのです。

中を少しだけ引き出してみると

文字が書いてあったので、古文書が入っているのかと思いました。

その文字が自分では読めませんでしたが、

それでも大事なものだから、次の時代に繋ごうかと

思っていました。」

《飯田さん》

「(さぬき市)前山に遍路資料館がありますが、

そこに展示されているのと同じようなものがありました。

形はそれぞれ違うものもありますが、

遍路資料館に

「俵札」と書かれてあり、そこで初めて(名前を)知りました。

それは20代になってからのことでした。」

実際に「俵札」を見せていただきました。

稲わらで編まれた俵型をしています。

横長で50センチくらいの長さがありますね。

《飯田さん》

「横50センチ、(直径)20センチくらいの円柱形。

稲わらを横に並べて

それを縫い込んでいって布状にしたもの

これを菰(こも)というのだけれど。

農作業では保温するために使ったり、

敷物に使ったりと色々な用途に使ったりする

今で言う手提げ袋のような役目をしていた感じです。

昔は炭俵や米俵とかすべて稲わらを利用して作られていました。」

これが飯田家の天井にですか?

《飯田さん》

「梁に括り付けられていました。

今から思うと鼠の被害にも耐えられる

保存方法だったのだと思います。」

この俵の中に入っていたのは、「納め札」。

《飯田さん》

「「納め札」といって短冊状の自分の住所等とともに

「願」を書いたものがあります。

その「納め札」をこの俵札の中に入れて

枕になるほど貯まったらご利益があるという

物だったらしいです。

詰め込んでいって、この俵札の中には2500枚ほど

入っていたのです。」

2500枚‼

《飯田さん》

「平成25年から5年間に渡って

さぬき市の「おへんろつかさの会」というところがあり、

その当時の会長さんから会の行事として

「俵札」を調べたいというご希望があったらしいのです。

そこのわたしどもの家に「俵札」があるという情報とマッチしまして

5年かけて調べてくれました。

写真に撮ったり、文章を解読したり・・・」

《飯田さん》

「「俵札」の中は(納め札が)色々あるのです。

天保時代から昭和の時代まで繋がっていたのですが、

(お遍路さんの)住所や(お遍路で回られた)年代とか

色々な情報が入っていました。

それが今の人では読み解くことができないくらいの

墨で書かれている文字で

昔の和紙は水をかけると広がってくれましたが

明治以降の紙は洋紙でポロポロになる

という違いもありました。

そんなことから、

和紙はたいしたものだと思いました。」

江戸時代の天保年間から昭和までの

お遍路さんから頂いた「納め札」。

 

《飯田さん》

「そうですね」

 

この遍路道沿いにあった飯田家に「納め札」があるということは?

《飯田さん》

「なにかお接待していたということですね。

お接待したら、お遍路さんが「納め札」の紙をくれるのです。

お寺の納め札の箱の中に入れられている「納め札」と同じものを

民間の方々にも「お接待」をしてくれたら

返礼として渡すということですね。」

 

お遍路さんから返礼として受けてきた「納め札」を

ずっと大切に貯めてきたというものなのですね。

《飯田さん》

「それが枕になるほど貯まったら

ご利益があるという伝説があって、

それが貯まったので天井にぶら下げて

子孫のために残そうとしたのだと思います。」

 

「大切なものだぞ」とおじいさまから聞いていらした

けれども、飯田さんご自身はそういったものであるとは

知らなかった?

《飯田さん》

「知らなかった。

古文書だと、飯田家の昔のことが書かれた古文書かな

それか金銀財宝かと思っていました。

(ははは・・・)」

それはそれでロマンがありましたね。

その中が「納め札」であると聞いてどう思われましたか?

 

「その頃は、お遍路とか仏教とかに

興味がなかったので

「納め札」かぁ・・・という感じ。

それでも調べてみる価値はあるかとは思っていました。」

 

飯田家の「俵札」は5年をかけて

丁寧に調査が行われました。

そこから分かったこととは?

《飯田さん》

「戦争が起きた年は、すごい数の人々がお遍路に回ったということですね。

日清日露戦争、昭和の戦争。

そういう時にはお遍路さんが増えます。

昔は字が書けなかったので

字が書けたのはお寺のおじゅっさん(お坊さん)か武士

というエリート階級だった。

その人たちに交じってお遍路に回るけれども

字が書けないので、白い紙を入れている人もいました。

ひらがなで書いている人もいて

色々なことがわかります。」

それは尊いものですね。

《飯田さん》

「やはり資料としても価値があると思います。」

 

さぬき市内から見つかっている「俵札」は

さぬき市前山の「お遍路資料館」に展示されています。

《飯田さん》

「遍路資料館の方には5つあります。

また志度の方にある家にもあると思います。

昔は四国中の遍路道沿いにこういうものが

残されていたと思います。

それを家を建て替えるときに

捨てられたり焼かれたり

そうして処分されたと思うのです。」

その由来や思いが伝わらず途切れてしまっているところが

多いのですね。

《飯田さん》

「そうですね。

私も危うく無くなるところだったのです。

(他のご家庭では)無くなるところが多いと思います。

今は「断捨離」とか商業法で10年経ったら

資料は廃棄しても良いというものもある。

そういう社会で育つ人にとっては

10年経ったら捨ててしまおうと」

 

その家々にあるべきもの

子孫のためにこうやって守り伝えてきたものが

伝えるタイミングがズレてしまって伝わらなくて

その価値や思いに気付かず途絶えてしまう。

《飯田さん》

「そうですね。

色々な繋がりが減ってきている。

昔話が伝わらない地域になっていっている。

どこともが

そうなっていっているように感じます。

だから文章に残して次の世代に繋げなければ

消えてしまうなと思っています。」

 

今回はお遍路さんから受け取った

「俵札」の物語でした。

番組は、radikoでも お聴きいただけます

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